追い詰められたら、最後は「直観」 与えられた仕事だけやっていては、つまらない一つのことを究めるプロの人間になるんだ 究めようとする者にだけに、直観が働く 東京都文京区春日で、システムコンサルティング及び開発を行う 日本ソフトウェアエンジニアリング株式会社 代表取締役 坂本一行の生き方・働き方

CONTENTS

1 「俺の一生はこれかよ...」感謝しつつも、恵まれた環境から飛び出したかった。

2 「体力勝負」から「トータルシステム」へ。

3 厳しい現実に直面したからこそ、気づけた「2つのこと」

4 「幸せになりたい」と願う人が集まるために、ここを良い場にする。

5 追い詰められたら、最後は「直観」

6 「ソーシャルビジネス」が次の扉を拓く

7 「覚悟を決めろ」幸せになるためには、まず稼ぐことが大切。

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日本ソフトウェアエンジニアリング株式会社 代表取締役 坂本一行の生き方・働き方

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「俺の一生はこれかよ...」 感謝しつつも、恵まれた環境から飛び出したかった。

貰っている給料ほど仕事をしていない。こんなことで良いのか?自分自身が納得いく仕事をしてお金を稼ぎたい、という気持ちが日々高まっていった。

対話する?

起業前、私は精密機械メーカーに勤めていました。所属はコンピュータ室(IT部門)で、要するに昔で言う、プログラマー、SEとして仕事をしていたわけです。全体の仕事内容の半分くらいがスポーツ大会における計時計測システムに関係することでした。

当時、その会社はすごく業績を上げていて、ものすごく給料も良かったのです。だけど、どうもやっている仕事に納得がいかない…。こんなことで給料を貰っていていいのかな、と。すごかったんですよ、給料。ほんとにすごかった。でも貰っている給料ほど働いていない。「変だなぁ」と常々思っていました。

会社には10年いたのですが、その間に係長試験にもトライしました。これが大変ハードな試験で、当時はそれに一発で合格すると自動的にだいたい部長に昇格できたのです。そして、その中から役員が出るわけです。それで、猛勉強しました。相当勉強しないと受からないのですが、受かったんです、一発で。

そこで感じたのです。 「ああ、これでもう部長か」と……。
そして、先が見えたな……、飽きたな……、と思ったのです。(笑い)。

俺の一生は、これかよ、と……。

そんな時、「会社を作らないか」と、私の上司から声が掛かったのです。

当時プログラマーというのは人気職業でしたから「失敗してもプログラムを書いている分には食えるわい…」と思い、もうちょっと何か、自分自身が納得いく仕事をしてお金を稼ぎたい、という気持ちが強くあったので、結構、気楽に辞めました。

その頃は、会社を辞めるなどと言うことは考えられない時代だったのですよ。ましてやそれなりの事業規模の会社の、何と言いますか、責任ある職務を担う課長と係長がポーンと辞める、なんてことは。そういう時代でした。

「体力勝負」から「トータルシステム」へ。

スポーツビジネス進出への決断が、ソフトウェアビジネスの限界から脱却を果たした。

対話する?

日本ソフトウェアエンジニアリングの起業は、昭和55年(1980年)9月です。当初はソフトウェアの開発をしようということで、4人の有志で独立して会社を作りました。

一生懸命、皆で独自に営業展開し、稼ごうじゃないかと、働き出しました。皆、優秀なエンジニアでしたから、よその会社の3倍くらいの効率で仕事をしました。4人でプログラムを作って、それがすごい儲けになりました。

これは自分が作ったものだ、これでお金が貰えるんだ、これでお客さんが喜んでくれるんだ、これで部下を食わせられるんだ……、そういうことを常に考えていました。

だけど、このような仕事は体力勝負。現状では、社員を雇いメンバーを増やさなければ、どうにもならない……だけど、社員を雇っても、その社員の体力勝負ということになる。この業態を続けるかぎり、しょせんは、体力勝負……。

プログラムだけを作っているのじゃ先行きが見える、限界もある、と思っていたそういう時に、私の前にいた会社から、改めて、「当社でスポーツビジネスをやりたいんだ、協力してくれないか」と依頼があったのです。
それで、独立して2年ほどしたら、また、前職でお世話になった精密機械メーカーと協同で仕事をすることになったのです。

すでにその精密機械メーカーでは、スポーツの国際大会支援用に商品を作っていたのですが、それを「電光掲示板を入れたい、コンピュータシステムを入れたい、計時装置を入れたい」それをトータルシステムにして大々的に展開したいんだ、と言うわけです。そのトータルシステム作りへの参加が求められました。

そこで、我々は精密機械メーカーと一緒に営業をし、スポーツ大会主催者の要求に応えて図面を作り、システムを作り、販売するということを始めたんです。

こうなると、私たちの専門、つまりプログラムを組むというのは、全体の仕事の中では一部分になってきました。機器の設計から始まって、システムの設計から運用から、現場までという仕事になってくるわけです。で、これは、プログラムだけワイワイ言いながら組んでいくらという、常々、私が心配していた、ソフトウェアビジネスの限界から脱却できる。これならトータルの仕事ができる。「よし、やったろうじゃないか」となったわけです。こうして、スポーツ関連の事業一本に絞ってシステム開発の展開していく決断をしたのです。

オリンピックをはじめ、世界中の大会で仕事をしましたから世界を転々と歩きました。国内大会もあちこち行って、それなりの基盤を作ってきました。

スポーツビジネスにおけるトータルシステム開発のいいところは、定年間際の人間でも、まだ現場の仕事ができるというところです。プログラミングに向いていなくても、スポーツ大会の現場の仕事はちゃんとできますから。オペレーションとか、さまざまな立ち合いとか。年齢に関わりなく。もちろん、少々の体力は必要ですが。そうした仕事を生み出せたんです。

現在は、国内のグループ会社は6社。海外ではタイに一つ、ハノイに一つ、合計8社で展開しています。

厳しい現実に直面したからこそ、気づけた「2つのこと」

「出会い」が、人を繋げ、ビジネスを生み出し、輪にしていく。「謙虚」を知ることが、良い人との出会いを生む。

対話する?

これまでの人生で学んだことは、人との「出会い」です。まず出会いがあって、人の繋がりでビジネスが生まれて、輪が出来ていくのです。

そのためには、いい人と出会うことが大切です。

でも、いい人とどうしたら出会えるの、と言ったら、自分が「謙虚」であること。

そして、そういう素敵な人たち…当然そういう人たちはこちらが及びもつかないキャリアをお持ちで、一方こちらは低いレベル。でも、そういう人たちに、言い方はおかしいけど“可愛がって”もらえる、そうなるように自分が努力しなければいけません。

そういった意味では、私はよい人に恵まれていたと思います。

「謙虚」ということは、どんどん仕事が伸びている時には考えませんでした。「俺が、俺が」という時代がずっとあったのですが、やはり会社経営ですから、いい時もあれば悪い時もある。悪い時、当然私も経験しています。ずいぶん辛い思いもしました。そういう思いをしてからですね、振り返ってみると。

その辛い思いをしのいで、立ち上がった時にそれが大切だと気付けたのです。
「謙虚」っていうのは、言葉では簡単だけれど、なかなか、大変なことです。

しかし、辛くても、そこから大変でも立ち上がって行かなければならない。大切な社員を食わせなきゃ、と、それ、一心です。それだけです。

「幸せになりたい」と願う人が集まるために、ここを良い場にする。

「幸せになりたい」という気持ちが、会社や家庭や地域をより良い場にしていく。良い場には、良い人が集う。

対話する?

「人間、何のために生きているのだろう」、ということをふと考えたときに、私は、「幸せになりたいからだ」と思うのです。

では、幸せになるには、どうしたらいいの? ということを考えました。自分のいる場所……会社であれ、家庭であれ、地域であれ、そこが良い場になればいいですよね。そういうところを良い場にするため、努力する。良い場には良い人が集う。
その場を良くしようと努力していれば、良い人しか集まってこないはずだ。「幸せ」になりたい」という気持ちの人が集まってくるはずだ。そういう場を作りたいな、というのが、私の理念になりました。その気持ちはずっと持っています。

でも、理念が「幸せ」なんて言うと、だらけちゃうんですよね。何もしなくて給料貰うのが一番幸せ、みたいな(笑)。まぁ、もうちょっと違う動機付けが必要だったのかもしれないけど。そういう失敗もしました。

少年野球の指導をずっとやっていますが、トラブルが多くて、立て直さなければいけないというので頼まれて立て直したこともあります。

組織にはトラブルがつきものです。で、私が頼まれる時っていうのは、だいたい、トラブルを抱えている時が多いのです。(笑い)。

それで、そこに入って行って、「幸せとはなんだ」というようなことは言いませんが、そういう気持ちで接して、問題点は何なんだろうと、探っていくのです。そして、問題点をチクリ、チクリと突いていくと、自然と良くなっていくのです。

追い詰められたら、最後は「直観」

与えられた仕事だけやっていてはつまらない。一つのことを究めるプロの人間になるんだ。究めようとする者にだけに、直観が働く。

対話する?

スポーツビジネスで、安定して稼げる会社にしようということを大切にしていました。でも、そりだけじゃ、ダメだということに気が付きました。
気持ちが、楽な方に行ってしまう。楽な方に行ったら馬鹿になります。与えられた仕事だけやっていればいい、というようになる。そうなったら人も会社は伸びないのです。
ですから、仕事とは何なのか?を考え、「プロの人間」になるんだという気持ちを持った人間を育てていきたい。そうすることによって、人も会社も伸びていくと思うのです。ひとたび社会に出れば、お金を貰って働く以上、会社員であっても、技術者にしても、「プロ」なんですよ、お金を貰うということにおいては。だったら、「一流のプロになりたい、と思えよ」と言いたいのです。そういう人間しかウチは採用しないよ、というふうに、私は決めているんです。

こういう中小企業でも、それを大切に意識してやっています。

プロ意識を持って前向きに新しい事に取り組めば、解決出来ることはたくさんあるのです。

プロ意識を持って、一つのことを究めようとすると、たくさんのことを知らないとできません。たくさんのことを知ろうと思うと、たくさんの人と会わなくてはならないんですね。そこに、たくさんの人との出会いが生まれる。そうすれば、自然と知識が増える。そんな難しい事ではありません。そこから新しい世界が生まれてくるのです。

そして、追い詰められたら、最後は、「直観」が働くのです。

スポーツビジネスの現場は、自然との闘いでもあります。現場で起きるさまざまなことにプロとしての蓄積で前もって予測して対応していくけど、その予測を上回る自然の出来事が起きる。それと向き合い続けて、ず~っと考えているから「直観」も働くということです。

究めようとしない限り「直観」は生まれない。

それは、苦しいことではないのです。上手くいかない時に、追い詰められて追い詰められて追い詰められて、はっと「直観」が出る……。ものすごい快感です。「やったー!」という気持ちです。

そこに至るまでは、それは苦労というかもしれないけれど、それは誰でも通る道であって。
苦労というのは単なる通る道の一つにすぎないんじゃないかなと、いうような気がします。

大変なことがないかぎり、プロにはなれないでしょう。どのくらい大変な経験を積んだか、です。そこから逃げていたら絶対に「プロ」にはなれません。

「ソーシャルビジネス」が次の扉を拓く

寄付して終わりじゃない。頭を使って、世の中にあるいろんな問題を解決することで生まれる利便性から利益を生み出し、その利益で利便性を維持していく。これがソーシャルビジネスだと思う。

対話する?

今、すごく注力しているのがソーシャルビジネスです。

どこまでがソーシャルビジネスかということを、正しく定義するのは難しいですが。
私は、ソーシャルビジネスというのは、世の中にある、貧困などのいろんな問題に対して、それを解決することによって生まれてくる利便性から、いくばくかのお金を頂いて、そのお金でその利便性を維持していく、という仕組みだと思うのです。

いくら儲けるか、いくら儲かるんだ、これがマネービジネスですね。そういう意味でソーシャルビジネスというのはマネービジネスと違って、ものすごく頭を使います。

我々が今、「ソーシャルビジネス」として協力しているところがネパールです。ネパール側のNGOカウンターパートナーに、ソーシャルビジネスのプロフェッショナルとしてマハビール・プンさんという「マグサイサイ賞」、アジアのノーベル賞といわれている、その平和賞を取られた人と共に事業展開をしています。

ネパールの山々に無線LAN、ワイヤレスネットワークを引くのです。それには国際機関の助成金を活用しました。それで便利になっただけで終わりではなく、そこから、いかにしていくばくかの費用を頂いて、その費用で、さらにその村々の人たちがより良い生活が出来るようになるか……そこまで考えないと、いけないんですね。

いくばくかの助成金を頂き、それでなんとかこう腕力で、中古品買ってきたりして、17の村に無線LAN、ワイヤレスネットワークを引きました。それまで村には電気もなかった。それで、そこに太陽発電とか、周りが絶壁で川が流れていますから、それにミニ水力発電くっつけて電気を起こす。で、村々に電気を行き渡らせた。テレビも無いところですが、ネットワークを引いたことにより、インターネットができるようになったため、世界中が見られるようになる。人々は、びっくりするわけです。学校の先生たちも教科書が手に入るわけです。

じゃあ、そういう維持費を、あるいはそれを発展させるお金を、今後、どうするの?ということを考えたのです。

ネパールの人たちは、ほとんどの人たちが外国に出稼ぎしているのです。だが、送金がままならない。ところが、インターネットができるようになるとインターネットバンキングができる。また、海外行っている人たちと、スカイプで電話が出来る。

インターネットバンキングとかスカイプの手数料をいくばくか頂くわけです。そのお金を村に還元してゆくわけですね。

一昨年やったのは、カトマンズの病院に遠隔医療のシステム。これもなんということはない、テレビ会議システムなんですが、導入して、村々の小さな診療所に看護師らしい方を置いて、そこに電気心電計だとか、電気血圧計だとかを設置しました。これで患者の情報が取れるような仕組みを作ったわけですね。それも中古品など、安いものを一杯買って行ってやったんですよ。

今までお医者さんに診てもらうには10時間も歩いて山を降りなければならなかった。そういう村々なんですよ。重篤な病人だったら死んでしまう。でも遠隔医療をできるようになって、薬さえあれば処方ができることになったわけです。これもやはり安い医療費を頂いて、それをまた回して、というようなことで、維持しています。

ソーシャルビジネスというのは、初期には寄付金や助成金が必要です。今までは、それを渡しただけで終わりだったのです。それをもとにして一つのコミュニティが活動していけるような仕組みを作らなければいけないと私は思うのです。

これから、ネパールでもう少し突き詰めたソーシャルビジネスは展開できないだろうかと、今、考えています。

「覚悟を決めろ」幸せになるためには、まず稼ぐことが大切。

世界は広い。覚悟を決めて、まずお金を稼ぐという大切さを知って欲しい。そうすれば、機会はいっぱいある。

対話する?

私は社員の「幸せ」を願っています。そのために会社をやっているようなものです。

だから、自分たちが幸せになるために一生懸命頑張れよ、と伝えたいのです。それしかないです。

機会は一杯あります。あとは本人の気づきというか、気持ちが大切です。

たとえば、この会社に入って何が得られますかと聞かれたら、「お金が得られます。そのほかはあなた次第です。最低限の教育はします。あとは自分で勉強してください」と言いたいのです。

あとは本人の問題なのです。チャンスは山ほどあるのです。

世間を狭く見ないで、もっと広い目で見て欲しいです。そうすると仕事もいっぱいあります。ましてや日本国内だけで、限られた地域だけで物を見ている限り、限界があります。

現代の就職事情を見ていると、すごく細かい事にこだわって採用を断ったり、どうでもいいような謳い文句に惹かれて応募して落ちたり、そんなことばっかりやっているように見えるのです。

まず、世の中に出て、お金を稼ぐことが先ではないでしょうか。なんか、勘違いしていないかと思ってしまうのです。

「お金を貰う」ということの大切さ。価値観を知って欲しいです。

「銭一文、天から降らず。地から湧かず。」です。

だから「覚悟をしろよ」と伝えたいのです。

自分で動こうとすることが大切です。がむしゃらでもいいから、自分で動こうとしないと。どんな小さなことでもいいのです。最初は誰だって小さなことからでしか動けないのですから。だから、安易なところへ逃げないで欲しいです。

世界は広いです。現在、わが社は、積み重ねたスポーツビジネスに加え、ソーシャルビジネスという新たな扉も開いています。

幸せになるためには、覚悟を決めて、まず稼ぐこと。決めれば、そこには機会はいっぱいあります。

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